博雅の災難(蜜)
■四■
「少し待っていてくれ、晴明。今行く」
―内裏を出、大路を行く博雅の声が月夜に響く。
抱えた猫に博雅が言うと、猫は小さく鳴いた。
『先に行く。早く来いよ、博雅』
博雅の言葉に短く応えた猫は博雅の腕から滑り降りると、地面に着地した途端、姿を消した。
「あ―…」
不思議な光景に、博雅は立ち止まり、たった今猫が消えた地面をしばらく眺めてしまった。
「…」
どれだけ見ても、晴明の不思議に慣れることがない。
「―…」
少しの後、博雅は気を取り直して再び歩き始めた。
目前に見える辻を曲がれば、晴明の屋敷が見えてくる。
早足で歩きながら、博雅は空を見上げた。
明けに白んできた東の空に、ずっと姿を薄めた半月が博雅を見ている。
月を見ながら、博雅は先程の猫とのやりとりを思い出していた。
―怒る晴明も。
―仏頂面の晴明も。
目の前にいるのが例え猫でも、博雅には猫を通して晴明が見える。
晴明の、心が見える。
博雅に見える晴明は、冷たくもなく、分からなくもない。
その精神は容姿に違わず美しく、聡明で。
―自分はそんな晴明がただ大切で。
そして今は、ただ、無性に晴明に逢いたかった。
猫ではなく、人の姿の晴明を、抱きたい。
「―…」
博雅は自分の中に生まれた欲にやれやれ、と苦笑を交えると、首の後ろをかいてつぶやく。
「晴明と空を見るのは、今夜までおあずけだな―」
―次の月の時間が来るまで。
晴明を寝所から解放してやれる自信が、博雅にはなかった。